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はずした指輪

2008年11月24日
大量服薬や泥酔、自殺未遂(と言ってもしようとするだけで行為自体はしていない)
が何度か続いた。

ある時指輪をはずした。
もう駄目だと思った。

その日も家に早く付き、ご飯の準備もせず
彼の席に座ってただ帰りを待っていた。
遅くなるのがわかっていたから
お酒も飲んでいた。
ふと左手の指輪が目に入った。

これに縛られているんだと感じた。
何度か仕事ではずした事はあったが、自分の意志ではずそうと思ったのは初めてだった。
遠距離中に二人で選んだ指輪。
婚約指輪にと、安くても気に入った物を選んだ。
クリスマス限定の金色でリボンが付いたケースに入った
きれいな指輪だった。

彼と私は結婚を前提に付き合っていたから
余計に指輪に縛られている気がして仕方ない夜だった。
横浜に幸せになりにきたのに。
正直ちっとも幸せじゃなかった。

酔っ払って倒れていると日付が変わるかそれくらいに彼が帰ってきた。
帰るというメールも電話も全部無視していた。
無視しないと、怖かったから。「今日はまだまだ帰れない」という文字や声を
見たくも聞きたくもなかったから。

ふてくされている私に向って彼が言った。
「何で指輪はずしてるの?」
少し怒っている声だった。
「別に、なんとなく?」
まだまだふてくされた私が答えた。

「ふたりで決めて買った指輪だよね。なんではずすの」
彼はまだ怒っていた。

そのあとの会話は覚えていない。
あの頃の記憶は飛び飛びだ。

ただ、私たちは喧嘩したまま次の朝を迎えない。
朝になろうと話し合う。

彼が早く帰ってくれないこと。
仕方ないとわかってても自分ではどうしようもなくなること。
大好きでいることには変わりないこと。
彼は彼で帰れないのは仕方ない。
それでも早く帰るように努力してると。

まだまだ二人ははじまったばかり。
乗り越えられると、彼はまた私に指輪をはめてくれた。

嬉しさの中、ほんのり心にある想い。
指輪を見つめながら
何度同じことが続くだろう。
何度目が最後だろうと。

彼の腕の中、私は眠りについた。







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仕事を始める

2008年11月23日
横浜へ来てもうすぐ2か月がたとうというころ、
たまたま受けた会社で採用がきまった。
仕事内容も給料も申し分ない。
ただ、終了時間が早い。
毎日定時で帰る生活だった。

仙台にいた頃そんな生活が欲しくて欲しくてしょうがなかったのに
なぜだろう嬉しくない。
むしろ生き地獄を味わうことになった。

初めのうちは気にしないようにしていたけれど、
彼の仕事が忙しくなると、家に帰ってもまた何時間も待つことになる。
ご飯も冷めてしまう。
顔がみたいから先に寝たくはない。
寝れないという表現が正しいかもしれない。

だんだん症状らしきものが表面化してきた。
私では制御できなくなりそうだった。

ただ、仕事に慣れるにつれ、私の方が遅い日も出てきた。
そんな日は何ともないけれど、
彼が遅いと朝口にする度に私の胸はなぜか張り裂けそうに傷んだ。
頭ではわかってる。仕方ないって。
数か月前までは自分だって午前様だったのだから。

そんなジレンマの中、二人は喧嘩もするようになった。
彼は怒ったりしなかった。私が一方的に彼を悪者にしていた。
そもそもわがままを言っているのだから、彼はどうしようもないことくらいわかっていた。
でも、言わずにはいられなかった。
この気持ちをどうしたらいいか分からなかった。

胸が痛むで済んでいたのが、動悸も重なり、ひどい時は息ができなかった。
体の震えも止まらず、眠ることすらできなかった。

眠れればいいと思った。お酒をたくさん飲んで、ずっと昔に処方されたリーゼという
軽い抗うつ剤を20錠くらい飲んだ。副作用のひどかった咳止めの薬も合わせて
ありったけのんだ。それでも眠れなかったら手首を切ろうと思った。

意識朦朧な中気付いたら心配した彼がいた。
悲しそうな顔をして。





仕事を始める  メニューに戻る  外した指輪

序章

2008年11月23日
彼の家にきた私は久し振りの休みですごくすごくうれしかった。
なにより目が覚めたら彼が横にいることや作ってあげたかった料理も作ってあげられる。

過酷な仕事でやせ細った自分がいつも情けないと思っていたけれど
この瞬間のためにがんばったと思ったら少しだけ力強く感じた。

ちょうど連休の近くで、彼は有給をとり、私のそばにいてくれた。

戸惑うことはたくさんあったが、うれしさだけが二人を包んでいた。
幸せってこうゆうものなんだなって思った。
これを書きながら、今でも彼の家で迎えたあの朝は幸せだと思う。

結局最後を迎える日まで私は彼の横で目を覚まし、眠りについたのだけれど
幸せな日ばかりではなかった。

横浜に来て最初の2週間はまだよかった。
彼の帰りもよく覚えていないがそんなに遅くなかった。
少なくとも最近まで働いていた自分の帰りよりは。
ちょっと主婦気分で楽しかった時期があったのも本音。

ただできるかぎりの家事をするものの、もともと一人暮らし用のワンルームだ。
できることにも限りがある。

仕事をしていない焦りや、友達のいないさみしさや、
これからが急にみえなくなって怖くなった。
そんなとき、抱きしめてくれる人はいない。
一日彼だけを待って数時間一緒にいたらまた朝がくる。

土日を待つのがいやだった。
それだけが希望みたいで。

仙台においてきた荷物を片付ける頃にはもう空虚感と恐怖が襲い始めてた。

働きさえすれば大丈夫だと思った。その時は。






はじまり  メニューに戻る  仕事を始める

どん底だったとき

2008年11月23日
どん底だった時
どん底だったのは、一番愛していた人を一番近くで一番悩ませて傷つけたときでした。

はじまり
序章
仕事を始める
はずした指輪
両親との距離
あの頃の日常
実家に行<


はじまり

2008年11月23日
一番症状がひどかった時は2008年2月から6月の半年間だった。

2008年12月、私は何もかも捨てて横浜にきた。
ただ愛する人と一緒になるために。
「なんの心配もいらない。こっちにこい」と何度か言われた遠距離恋愛の末だった。

血を吐きながら、休日が月に1?2回、点滴を打ち、残業200時間を超えてボロボロになった
私を見ていられなかったのだろう。

彼は優しい人だったから。

飛び出すように会社を辞め最終の新幹線に間に合わず、
タクシーに飛び乗った。自分の家につくとすぐ荷物をまとめ
車に乗り込んだ。
そのまま当時住んでいた仙台から横浜まで車を飛ばした。
初めての長距離運転だった。6時間くらいかかっただろうか。
ただただ一人で居たくなかった。
彼のそばに居たかった。
彼じゃなきゃだめだった。

今思えば、もう少し我慢すればよかったのかもしれない。
あんな風な最後になるのなら。






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ボーダーラインとは

2008年11月08日
ボーダーラインとは「境界性人格障害」という病気です。
境界性人格障害ウィキペディア
上記リンクを見ると小難しいことしか書いてないですが、万引きは私はしません(笑)
タバコは吸います。

病気のせいかどうかわからないけれど私の主な症状は
・不安なことがあると胸が痛む。
・動悸が止まらない。
・不安なことがあると眠れない。
・不安なことがあるとほかのことが手につかない。
・不安で不安でしょうがない。
・目の前が真っ暗な感じの虚しさに襲われる。
・考えられなくなると死にたくなる。
・ネガティブになってしまう。
・死のうとする。
などなど。

不安なこと=一番愛する人が私を見捨てるだとか置いていくこと。ないがしろにすること。

頭では理不尽なことを要求しているとわかっているけれど、心の制御がきかなくなります。
「仕事で遅いのはしょうがない」と頭では理解しています。私だって遅い日はおそいのだから。
でもそれが愛する人だと「私より仕事?」と心が暴走してしまいます。

紛らわすためにお酒を飲み、たばこを吸います。

そんな病気です。

いろいろなサイトをみてネガティブなことしか書いていなかったので
私はあまり詳しく調べていません。
知ったところで改善できないと身をもってしったことがあったからです。

興味のある方は調べてみてください。




プロフィール

2008年11月08日
私は1984年生まれの現在24歳の女の子です。
神奈川県在住。

現在 ボーダーラインと付き合っているところです。
派遣会社員。
IT関係の仕事。

A型。

性格:前向きだったり自分に甘かったり厳しかったりと波があります。基本明るく生きてます。
仕事大好き人間。向上心は高い。でも打たれ弱いところも。。
趣味:映画鑑賞、ネットサーフィン
悩み事:尽きないけど、生きてる実感ありって受け止めています。
迷いの尽きない年ごろなのかめぐりあわせなのか
いつもうろうろしてる感じですが、
今日も生きてます。




病気にきづくまで

2008年11月08日
いつから病気なのか、さだかじゃないけれど10年くらい経つんじゃないかと思う。

それが「病気」なんだと気付いたのは2008年になってから。

「気付いた」というより「気付かされた」「思い知らされた」と言う方が正しいと思う。

2007年。大恋愛をした。相手は3週間だけ仙台に研修できていた男性。
趣味も、考え方も、受けてきた傷も全てが理解し合えた。
私には相手がいた。もうすぐ同棲予定の。10万程かけ家具などを買って引っ越しをする予定だった。
その人にはお金がなかったので私が全部払った。合わせて仕事も変えることになっていた。
彼にも相手がいた。遠距離中の。さめていたようだった。

彼は横浜の人。
帰る日の朝、ビジネスホテルで一緒に目覚め、準備をしている彼に言った。
「私の彼氏になって」
人生で初めての告白だった。
彼の答えは「いいよ」。

それから数日のうちにお互いの相手と別れ、遠距離恋愛が始まった。
2007年7月のことだった。

私は仕事が忙しく、朝5時に起き、家に帰るのは2時。
休みも月に2回ほど。
体も壊し、血を吐いたり、点滴を打ちながらどうにか12月まで仕事を続けた。
ある日耐えがたくなり、上司と大ゲンカの末会社を辞めた。
最終新幹線はなく、そのまま車で横浜へと飛ばした。
初めての首都高。初めての行動力。
どうしても会いたかった。遠距離なのにだんだん深まっていった絆にふれたくて。
どうしても一人でいたくなくて。

それから同棲がはじまり、結婚を決めた。
しかし元々自分が仕事人間。急に無職になると怖い。
彼の仕事はSE。帰りも遅い。一緒に住んでいるのに数時間しか一緒に入れない。
あとは寝るだけ。
二人が住んでいたのはワンルームマンション。
家事にもキリがある。

2週間ほどでわたしも暇になり、併せて情緒不安定になっていった。

横浜に越して1か月ほどでIT関係の仕事を見つけ、働くようになったものの
最初は定時退社。

家に帰ってご飯をつくってまっていてもゆうに5時間以上一人だった。
越したばかりで友達もいなく、何も楽しいことなどなかった。

「早く帰ってきて」と要求するようになっていった。
それはわたしが仕事にも慣れ、帰りが終電あとになっても続いた。
「また遅いのではないか」「またあの虚しさを味わうのか」と思ったら毎日が怖かった。
仕事中携帯が鳴るたび、障害かなにか起きて帰れないという連絡なような気がして気が気じゃなかった。
早く帰らないよう仕事も増やしてもらった。
早く帰らなきゃいけない時には飲みに行った。
一日数時間しか寝ていなかった。
一日中PCに向かいあっているのに肩こりの私が肩すら凝らなかった。
ただ、怖いことが起こらないよう祈っていた。
疲れなんて感じていなかった。
それどころじゃなかった。
ただただ、寂しいとか虚しいとかを感じなければ自分の体に負担がどれだけかかってもよかった。

そのうち私の要求は悪化し、時悪くして妊娠。仕事していてもこんな思いをするのに子供なんて。
まだまだ働きたい。一人は嫌。
妊娠発覚が3月。
4月に堕胎する。
仕事も休みがち。何月からか覚えていないけれど21:15には家にお互い帰ろうと約束をしていた。
私の体に変化が現れ、態度も変わったからだ。
動悸・耳が聞こえなくなる。胸が痛くてしかたなくなる。死にたくなるなど。
なんどか薬を大量服薬して意識朦朧で家にいたこともあった。
死ぬと言って彼を何度も困らせた。
痛む胸を紛わせれればなんでもよかった。
それでも、その約束を守ってくれないのではと考えては同じ症状に悩まされた。
彼が会社にいってしまうのが怖くて、特に手術後は家で安静にしていて
看病してもらうために休んでもらっていた。
お金のことやそんなことまで頭が回らなかった。
ただ愛する人にそばにいてほしかった。
胸が痛まなければそれでよかった。

そんな状況が続き、彼が病院を進める。
私はショックだった。何一つ悪いことをしてるつもりがなかったから。
帰ってこないのが悪い。そう思っていた。

薬はのみたくなかったので催眠療法をした。
1回2万。心と体が疲れきっていると言われた。
どこまで本当かわからなかったが。

しばらくしても良くならないので病院に通った。
私が折れた。
診断は「全般性不安障害」
2?3か月で治るとのこと。
薬の副作用でだいぶやせた。

それを見ていた彼の顔は曇っていた。
悲しそうに私を見ていた。
平気なふりをしていればいるほど、なんでも通じ合える二人だからか
彼が悲しい顔をしていく。

すぐ治らなければ、彼も会社に行けなくて困っていた。
薬を飲んでもよくならない私。

二人の先は真っ暗だった。





診断されるまで

2008年11月07日
2008年10月。ボーダーラインと診断された。
ふと、映画のタイトルが浮かんだ。
「17歳のカルテ」

確か主人公もボーダーラインだったんじゃなかったかなって。

映画では入院していたが私はそんな話が出るわけでもなく
薬を服用して治すというかコントロールしていくことになった。

心療内科にかかるのはこれが初めてなわけじゃない。

私は23歳。2008年になってから3つ目の病院だ。

1つ目の病院では「全般性不安障害」と診断され、治ると言われた。
信じていた。治るって。薬も欠かさず飲んでいるのにもかかわらず
良くなるどころか悪くなる一方だった。
自分がコントロールできなかった。

2つ目の病院では「境界型人格障害」と言われた。
ここへはいろいろ事情があり2回しか通わず、
1つ目の病院へと戻った。

3つ目で「境界型人格障害」と言われた。
最初の「全般性不安障害」と診断されてからおよそ半年後のことだった。
「境界型人格障害」とは「ボーダーライン」という病気のことだ。
いろいろ考えてあまり詳しく聞いていないが、トラウマなんかが原因のだそう。

抱えるトラウマを越えようと何度かがんばったのだけれど。。

現在毎日薬を20錠ちかく飲んで症状を抑えている。
効き目はあるような気がする。
情緒不安定になることはしばしばあるけれど。

23歳。ボーダーライン。人生は長い。
さてどう生きようか。
死ぬ気で幸せになってやる。




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