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あの頃の日常

2008年12月05日
彼と過ごしていた頃の日常は悲惨だった。
楽しい時も幸せな時ももちろんあったけれど。

週に5日働きにでている間私と彼が顔を合わせるのは
朝の30分。
私の方が早く家を出ていた。

夜せいぜい2時間会話をして終わり。
一日2時間30分しか顔を合わせない。
週末まで12時間30分しか一緒にいれなかった。
そんな毎日が虚しかった。

仕事に行って、彼がメールをくれる。
午前中はまだいい。
お昼にメールがこないと彼は忙しいという意味。
午後になるにつれ私は元気がなくなる。
「また今日も遅いのか。」
そう思うのが嫌だった。

そういう私も遅い日はあったけれど、
そんなときはすがすがしいのと
申し訳ない気持ちでぐちゃぐちゃしていた。

週末が来るのを楽しみにするのも怖かった。
彼は休日出勤する可能性があるからだ。
私の不安定さを見て断っていたようだったけれど
仕事だ。いついない日がくるのかと思ったら
気が気じゃなかった。

情けなかった。
大の大人が一人でいるのを怖がるなんて。
でもどうしようもなくこわかった。

だから期待しなかった。
期待しなければ、傷つくこともない。
そう思っても、心のどこかで
「今日こそは早く帰ってくるんじゃないかな」という期待を止めることはできなかった。
だからたくさん勝手に傷ついた。
勝手に怖がってた。
私にはどうにもできなかった。

土曜日休みだと二人で夕方まで寝ていた。
金曜の夜に朝まで飲んだり、話したり、ゲームをしたりしていたから。

すぐに日曜が来ていつも思ってた。
またあの一週間が始まるのかって。
逃げ場のない思いに押しつぶされそうだった。

期待を止めようとしたり、傷ついたり、平気な振りしたり、元気な振りしたり、
駄目になって薬を飲んだり、お酒を飲んだり、喧嘩したり、ループみたいな話をしたり。
どれかしか待っていなかったから。
辛かった。

一緒にいれて幸せだったけれど
本当に辛かった。
私も彼も。





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両親との距離

2008年12月04日
私は12月に横浜にきた。
引っ越しもしないでただ、鞄一つと車でやってきた。

当時借りていたアパートから引っ越さなきゃならなかった。
クリスマスまであと2日。
私と彼は仙台に戻った。
目的はひとつ。
引っ越し。

もともと実家をでたのも急だった。
仕事を変えてばかりの私だったから
また変わることをいいだせず、引っ越しを決めた。

答えがわかるから。
言われる言葉が浮かぶから。
現に予想通りな会話しかできない関係だったから
家にいる父に「今日引っ越すから!」といって始めた一人暮らしだった。

始まりはよくはなかったけれど
その部屋は彼が仙台に会いに来てくれた思い出でいっぱいだった。
3連休の度に来てくれて
「帰らないで」といつも駅のホームで泣いて見送った。

時間が止まればいいのにと
生まれて初めて本気で思った。

そんな部屋に戻って引っ越しを済ませ、
これが始りなんだと思った。
仕事が忙しくて寝に帰るだけの愛着もない部屋でもあったけれど
なんだかさみしかった。

親にはだまっていた。
週末は帰って来いとよく連絡がきていたが、
横浜に行ってもなお引っ越したことは言い出せなかった。
仕事を辞めたことを言い出せなかったから。

引っ越しで戻った日ですら
連絡もせずに横浜に帰った。

反対されるのもわかったし。
責められるのもわかっていた。
わかりきった会話をして
傷つけられるのが
何より怖かったから。

彼だけを頼りにこれからの人生を横浜で過ごそうと決め
車を走らせ仙台を後にした。





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実家に行く

2008年12月04日
あの頃のことはいろんなことが急すぎてあまり覚えていない。
一人で家に入れなくなっていたのは確かだ。
会社にもほとんどいっていなかった。

GWがおわり、しばらくは会社に行っていたけれど、
毎日のメールや二人で決めたルールに疲れてしまっていた。

収まる事のない動機。
震えが止まらない仕事中。
いろんなことがやりにくくなっていった。
ただ、会社にいると、そんなに彼のことを考えなくてよかった。

ただ、毎朝家を出るのが怖かった。
今日こそ何かあるんじゃないかと思って。
出張だとか、障害が起きて帰れないとか。
悪い方にばかり考えていた。

ある土曜日、彼は病院に行くといって、私は一人でいる練習だと言い聞かせ家を出て行った。
いつもなら一時間ほどで帰ってくるはずなのに、一時間過ぎても帰ってこない。
嫌な予感がした。

家に帰ってきた彼は私に「親父に電話した」といった。
彼は私が母を恐れるくらい、父親を恐れていた。
不器用な彼だった。
彼のお父さんはかなり怒っていて、北海道に戻って来いと怒鳴ったらしい。
私は家に残るといった。
「ここはさきの家じゃないから、さきは仙台に帰って。」と言われた。
「私のこともう好きじゃないの?」
「正直わからない」
「さき、お母さんとお父さんに電話して」
「いや。わたしは出て行かない」
「もう、こんな二人じゃだめだよ。さきが、この家に来たとき、俺なんていった?
二人で腐っていくのはやめようなっていったよね。これじゃ、だめだよ。」
それから、いろいろあって大泣きしながら母に電話した。
「お母さん、あたし病気なの。」
「どこか悪いの?」
「心が壊れたの。どうしたらいいかわからないの」
そういって、彼に電話をかわってもらった。
「仙台まで送り届けますので。すみませんでした」
そういって、彼は横浜から仙台まで私の車で送ってくれた。
道中、いろんな話をした。
2人とも泣きながら。
「さき、絶対に迎えにいくからね。」
私はその言葉を信じた。
信じるものがなければ生きる意味なんてなかったから。
実家に6時間後に着いたとき、母が玄関で待っていた。
初めて抱きしめてくれた。
よく戻ってきたと。
痩せこけた私を力いっぱい。
涙がこぼれた。
今日は、彼と眠れる最後の日だと思った。
でも、彼の父は私の実家に逐一連絡しては早く北海道に戻すように行っていたらしい。
少し休んで、そのまま仙台空港にいった。
朝一番の便で彼は北海道へと旅立った。
「絶対に迎えにくるから。ごめんねさき。愛してる。」と言い残して。
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